――「飛車角」は大当たりしますが、一方で現代風のギャング映画も人気で、井上梅次さんが監督した「暗黒街」シリーズでも梅宮さんは鶴田さんと共演しています。井上監督が初めて東映で撮った映画が「暗黒街最後の日」(62年)で「暗黒街最大の決闘」(63年)、「暗黒街大通り」(64年)と続きます。「最後の日」と「最大の決闘」は鶴田さんが主演で、「大通り」から健さんや梅宮さんがが主演になっていきます。
梅宮:鶴田さんは5社を渡り歩いて、「最後は東映」という感じで移って来られた。天下の鶴田浩二、あんな大スターはいないわけで、僕はある人に「お前、鶴田浩二会わせてやろうか」って言われて、「エッ!本当ですか!」みたいな感じで舞い上がったぐらい。それで、会ったら「お前は俺を踏み台にして伸びればいいんだ」って。その一言で、もう兄貴分ですよ。「よろしくお願いしますッ!」って最敬礼。
――「暗黒街」シリーズで梅宮さんはすごく硬派なやくざの若者を演じてるんですよ。
梅宮:そうだよね。あの時代はそんな感じが多かった。
――「暗黒街最後の日」は健さんのほうが軟派で女たらし風です。梅宮さんは女には見向きもしない役です。
梅宮:それは完全に台本として作り上げたキャラクターだよ。だから反動がひどかったんだ(笑)僕が銀座に行き始めたの、いつだたったかは覚えてないけど、けっこう早かったんだよ。「ひも」とか「ダニ」(65年)とか不良っ気のある作品に出始めた頃はもう行ってたと思うけど。
――「暗黒街大通り」のすぐあとに“夜の青春シリーズ”のハシリの「悪女」(64年)に出演されます。「暗黒街大通り」が硬派・梅宮辰夫と軟派・梅宮辰夫との分岐点なんですよ。硬派から、ある日突然、プレイボーイ、女を泣かせる役になったと思うんですけど、気持ちはいかがでした?
梅宮:それは岡田茂さん(当時・東京撮影所長、のちに社長)の発案。今度はこういう台本でやってくれって言われた時、毎日の俺と同じじゃねえかって、とくに抵抗はなかったな。今と違って、何をやっても許された時代で、テレビにもいじめられない、フライデーもない、やりたい放題やってたし(笑)
――岡田さんは梅宮さんの日常生活を見て、近い役に当てたということでしょうか?
梅宮:そうでしょ。岡田さん、普段から僕をちゃんと観察してたんだよ。それで僕の娘(梅宮アンナ)が生まれた頃、溺愛してたわけ。ミルクとおしめを持って娘を連れて撮影所行って、衣装合わせやる時もおしめ取り換えながら「それでいいよ、まかせるよ」なんて適当にやってたの。そうしたら岡田さんが「ちょっと来い」と。「お前何を考えてんだ、プレイボーイの役やる人間が、ヨチヨチって赤ん坊のおしめ代えてミルクやって。監督が怒ってあいつじゃ撮らねえって言ってるぞ!」。それで一本、撮影が流れたもんね(笑)